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ヤクタターズ名誉会長の活動報告

ソーシャルディスタンス万歳

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もともとこれくらいでいいんじゃないか

今回のコロナ禍でいろいろなことが浮き彫りになり。

 

こういう緊急事態に覿面に現れるのは管理者の有能さ、無能さ。

何もない時には顕在化しなかった「本性」が

こういう有事の時に暴かれるもので。

まあ、「結果的に」何もなかったから(これからあるのかもしれないが)

そうした無能さも結局顕在化せずに済むんだろうけど。

 

もう一つ、このコロナ禍で気づいたことも。

 

小さな頃から、なんとなく大人数とか大きな集団とかが苦手で、

習い事や学習塾なんかもほとんど通わなかった。

家で1人でいるのが好きだったし、

友達と遊ぶのも数人で遊ぶのが最も心地よかった。

人数が増えれば増えるほど不快に感じていた。

もっとも、1人遊びが好きで、

外で1人で壁あて、とか

自転車を周回コースでぐるぐる、とか、

まあ、今のマラソンに通ずる遊び方だったわけで。

 

で、今回のコロナではそうしたライフスタイルが、

おそらく自分の人生で初めてポジティブに評価される機会となった。

 

子供の頃から、

学校や周囲の大人は基本、

「みんなと仲良くしろ」「みんなで遊べ」「家に1人でこもってないで」

と繰り返し言われてきた。

そういうことが好きではない自分は、

なんとなくいつも他人に責められている気がしていた。

そして、大人になると、自分の意に反して、

それを今度は逆の立場で「正当化」しなければいけなくなり、

とにかくこの価値観がいつもついて回るのがしんどく感じていた。

 

ところが、満を持して「1人でいろ」「家にいろ」と

これまでとはまるで正反対の価値観が到来した。

 

この状況を、万感の思いを持って受け入れた人間は自分だけではなかったであろう。

 

正直、この今の社会的状況が大変心地よく生活しやすく感じている。

 

つい先月までは職場に行っても人がほとんどおらず、

とても快適に過ごすことができた。

 

街に出れば人が少なくこれもストレスがない。

 

久しぶりに飲食店に行けば、

これまでのスペースが広く取られていて、周囲に人がいない。

これも快適だ。

そもそも、見知らぬ人間が近くにいること自体、

大変不快に感じるタイプだから、本当に快適この上ない。

 

ラソンは1人でできるから、これも全く影響がなく。

 

逆にいえば、

これまでは逆の価値観を持った人たちにとって、

ものすごく快適な社会だったわけだ。

 

今後も、個人的には気心知れた仲間がいればそれで十分な人間だから、

正直今回をきっかけに生まれた「新しい生活様式」が定着したら嬉しい。

 

職場では堂々と積極的に1人でいられるし、

気の合わない人々と無理に一緒にいる必要もない。

食事も自由だ。

仕事に「ふれあい」なんてものも求めてないから、

それも積極的に回避し模範的な行為として認められる。

(うちの管理職はそれでも「ふれあい」の方を重視しているアホだが)

 

このコロナ禍をきっかけにして、

最も多様な価値観を認めない文化の残る職場の価値観が、

大きく転換することを願う。