決着
32歳でフルマラソンを始め、
2時間30分台など、夢のまた夢でしたが、
10年経ってそこに到達することができました。
結果的に、さいたまの敗北が今日の結果を産みました。
Bたん。さんにもアドバイスをいただき、
練習内容を大幅に変更。
さいたまの終盤に、
「自分には、マラソンペースでの練習が、絶対的に足りてない」
と感じたことと繋がり、
レースペースでのペース走を入れました。
そして、それを継続するために、一日おきでの練習。
今日の巡航ペースの上昇に繋がりました。
「10kmまではアップ」を決め込み、
最初はジョギングのつもりで。
快適な下りコースというのもあって、
ラップが目を疑うペース。
しかし、感覚的には本当にジョギングだったので、
自分を信じ、このペースで10kmまで。
10kmの通貨が37分ちょうどで、ここで予定より貯金が40秒。
1kmあたり1秒遅くてもいい、と気持ちが楽に。
残り32kmとなり、
「今の状態で、32kmのペース走をできるか?」と自分に問い、
このペースなら行ける、と確認。
20kmを1時間14分39秒。
隅田川のアップダウンを繰り返した区間であったにもかかわらず、
この程度の落ち込みでカバーでき、気持ちがさらに楽に。
門前仲町の折り返し時点でも、まだジョギング感覚。
もう一度、
「ここから22kmのペース走を始めるが、大丈夫か?」と問う。
まだ行ける、と判断。
蔵前に戻ってきて、25km。
この辺りから、ジョギングペースが、
3分50秒に乗り始める。
少し焦りが出てきて、心持ちペースアップ。
26kmで、「ここから16kmペース走を始めるが・・・」
と考えた時に、少ししんどいかも、と思い始める。
そうこうしているうちに、
なんとかジョギング感覚で30kmの銀座へ。
さあ、いよいよレース開始だ、
というところで、給水に人がなだれ込み、
本来なら後ろに回る余裕を持たねばならなかったところ、
思い切って前に出てしまい。
ここの1kmが3分41秒になり、
一気に走りのリズムが速いテンポに。
自分でも、「かなり脚を使った!」と自覚できるほどで、
残り12kmのペース走は厳しいかな、と。
日比谷通りを品川方面へ。
2時間39分の予定ラップの貯金が少しずつ減ってきて、
40切りへはまだ余裕はあったものの、
同じピッチでもペースが落ち始める。
品川で折り返したところで、
ほんの少しの上り坂で脚が痙攣を始める。
集中しても、脚がなかなか動かない。
ペースも3分50秒台が出始める。
ラスト5kmを切り、
蛍光ピンクのレッグウォーマーが、
初めて視界に入り、なんとかあそこまで、と。
しかし、この区間ではあちこちが痙攣し始め、
ペースも全く上がらず、
ついに40kmで貯金が尽きる。
さあ、39分切りは無くなった。
直後にBたん。さんをかわすも、
脚は完全に終わっていて、
残り2kmをどうするか、と。
ラスト1kmまで行けば、気持ちでなんとかなるだろうと、
ひとまず41kmまで頑張ることに。
ところが、ラスト1kmがまさかの石畳。
接地から蹴り出しへのリズムが完全に狂い、
両脚の痙攣がピークに。
まさか、ここへきて40切りが危なくなるとは。
しかし今日を逃せば、もう二度とできない気がして、
全エネルギーを脚を動かすことだけに集中させ、
いよいよ行幸通りに。
39分を回ったところで、
ゴールは目の前。
全ての決着がつきました。
19歳の夏に、初めて14分台を出した時に、
自分がこんなタイムで走れたことが信じられない気持ちになりました。
今日、その時と全く同じ気持ちになり、
あの時も、Bたん。さんとやださんがいたな、
と、23年前を思い出しました。
2時間30分台など、夢のまた夢でしたが、
10年経ってそこに到達することができました。
結果的に、さいたまの敗北が今日の結果を産みました。
Bたん。さんにもアドバイスをいただき、
練習内容を大幅に変更。
さいたまの終盤に、
「自分には、マラソンペースでの練習が、絶対的に足りてない」
と感じたことと繋がり、
レースペースでのペース走を入れました。
そして、それを継続するために、一日おきでの練習。
今日の巡航ペースの上昇に繋がりました。
「10kmまではアップ」を決め込み、
最初はジョギングのつもりで。
快適な下りコースというのもあって、
ラップが目を疑うペース。
しかし、感覚的には本当にジョギングだったので、
自分を信じ、このペースで10kmまで。
10kmの通貨が37分ちょうどで、ここで予定より貯金が40秒。
1kmあたり1秒遅くてもいい、と気持ちが楽に。
残り32kmとなり、
「今の状態で、32kmのペース走をできるか?」と自分に問い、
このペースなら行ける、と確認。
20kmを1時間14分39秒。
隅田川のアップダウンを繰り返した区間であったにもかかわらず、
この程度の落ち込みでカバーでき、気持ちがさらに楽に。
門前仲町の折り返し時点でも、まだジョギング感覚。
もう一度、
「ここから22kmのペース走を始めるが、大丈夫か?」と問う。
まだ行ける、と判断。
蔵前に戻ってきて、25km。
この辺りから、ジョギングペースが、
3分50秒に乗り始める。
少し焦りが出てきて、心持ちペースアップ。
26kmで、「ここから16kmペース走を始めるが・・・」
と考えた時に、少ししんどいかも、と思い始める。
そうこうしているうちに、
なんとかジョギング感覚で30kmの銀座へ。
さあ、いよいよレース開始だ、
というところで、給水に人がなだれ込み、
本来なら後ろに回る余裕を持たねばならなかったところ、
思い切って前に出てしまい。
ここの1kmが3分41秒になり、
一気に走りのリズムが速いテンポに。
自分でも、「かなり脚を使った!」と自覚できるほどで、
残り12kmのペース走は厳しいかな、と。
日比谷通りを品川方面へ。
2時間39分の予定ラップの貯金が少しずつ減ってきて、
40切りへはまだ余裕はあったものの、
同じピッチでもペースが落ち始める。
品川で折り返したところで、
ほんの少しの上り坂で脚が痙攣を始める。
集中しても、脚がなかなか動かない。
ペースも3分50秒台が出始める。
ラスト5kmを切り、
蛍光ピンクのレッグウォーマーが、
初めて視界に入り、なんとかあそこまで、と。
しかし、この区間ではあちこちが痙攣し始め、
ペースも全く上がらず、
ついに40kmで貯金が尽きる。
さあ、39分切りは無くなった。
直後にBたん。さんをかわすも、
脚は完全に終わっていて、
残り2kmをどうするか、と。
ラスト1kmまで行けば、気持ちでなんとかなるだろうと、
ひとまず41kmまで頑張ることに。
ところが、ラスト1kmがまさかの石畳。
接地から蹴り出しへのリズムが完全に狂い、
両脚の痙攣がピークに。
まさか、ここへきて40切りが危なくなるとは。
しかし今日を逃せば、もう二度とできない気がして、
全エネルギーを脚を動かすことだけに集中させ、
いよいよ行幸通りに。
39分を回ったところで、
ゴールは目の前。
全ての決着がつきました。
19歳の夏に、初めて14分台を出した時に、
自分がこんなタイムで走れたことが信じられない気持ちになりました。
今日、その時と全く同じ気持ちになり、
あの時も、Bたん。さんとやださんがいたな、
と、23年前を思い出しました。