名誉会長のRunブログ

ヤクタターズ名誉会長の活動報告

「疲労感」とは違う疲労

日常的に走れるようになると、
順調に、持久力としての体力は回復していきました。

まだ20代から30代前半であった時期は、
最大酸素摂取量に代表される持久的能力、
絶対的な脚筋力などは、
いまよりも随分と高いものがあり、
ジョグだけの練習でも、駅伝や10kmまでのロードレースでは、
そこそこの走りができるようにまで走力が戻りました。

しかし、練習量が増えてくると、
当然、それに比例して疲れも増していくわけで、
結果的に、走れるまでに疲労症状が快復していても、
相対的に感じられる「疲労感」にはあまり変化がなく、
常に眠い状態、頭が重い状態、脚がだるい状態は続いていて、
練習や試合では、それを心理的に抑え込んで走るというのが実情でした。

5000mであれば、15分40~50秒台。
10000mでは、32分台で走れていたことから、
おそらく、普通に考えて、そうした疲労症状を抱えているとは、
だれもが考えられないのは当然のことだと、当時から思っていました。
しかし、誤解を恐れずに言えば、
常に頭にあったのは、「この疲労さえなければ、もっと速く走れるのに」
といった、言い訳めいた考えでした。
事実、あの疲労感がなければ、もっと質の高い練習を、
もっと長い時間行うことができ、
学生時代の全盛期程度までは戻せたと思っていました。

疲労感によって、練習量が増えず、
疲労感によって、レース自体でも出し切れない。
そうした二重の要因が重なり、パフォーマンスは、
常にその程度までで留まりました。


こうして、数年間走ることが継続でき、
長距離を走る持久的能力も向上してきたことで、
いつしか、ハーフマラソンへの挑戦も視野に入るようになってきました。

ハーフマラソンに出るための、
20km以上を走る練習や、
中程度以上の強度で長い距離を走り続ける練習が続いたことで、
これまで気づかなかったことも明らかになりました。

それまで、ずっと「疲労感」だと思い込んでいた、この体のだるさが、
20km近い距離を走っていると、
どう考えても、脚に限局してだるさが生じている感覚が得られ、
一定以上のペースに上げると、
自分の意思ではペースを維持できなくなる疲労状態に陥ることに気がつきました。

筋繊維がダメージを受けているとか、
エネルギーが枯渇しているとか、
そうした感覚ではなく、
同じように脚を接地して、力を入れて蹴り上げているのに、
その推進力が得られないような感覚です。

こうなってくると、やがてペースは急速に落ち込み、
自分自身の意思や、心的努力では、どうにもできなくなります。
脚に重りがついているような、
何かに押さえつけられているような、
そういった感覚です。


実際に、ハーフマラソンの試合に出られるようになると、
よほど疲れを抜いた状態(いつもの体のだるさが、最小限にまで快復した状態)であっても、
最後の5kmほどは、持久的能力とは関係のない要因でペースが落ちていきます。
その落ち込み方は、通常の長距離ランナーのパターンとは完全に異なり、
かなりの安全ペースで走っているにもかかわらず、
急速にペースが落ちていく様子でした。

実は、5kmや10kmでも同じことは起きていたのですが、
全体の距離や、そうなってからの残り時間が短いために、
ある程度精神力でそれをカバーし、
仮に落ち込んでいても、全体に対する秒数が少ないため、
大幅なペースダウンが、あまり目立っていなかっただけでした。


この現象は、距離が伸びれば伸びるほど、影響が大きくなり、
のちにフルマラソンに挑戦することになった際には、
最も自分を苦しめる現象となりました。

少しでも調子が悪い(疲労状態が残っている)と、
それはてきめんに現れ、
フルマラソンでは「疲れがあっても、そこそこでまとめる」といったことは不可能で、
終盤に急激なペースダウンが起こり、筋が痙攣して、走行不能となることが、
数え切れないほどありました。


フルマラソンに挑戦し始めると、
走行中の考えられない脚の疲労度から、
もうこれは「疲労感」ではない、という事を確信し、
別のメカニズムを考えるようになりました。



そしてついに、その物質にたどりつきました。