名誉会長のRunブログ

ヤクタターズ名誉会長の活動報告

いうことを聞かない体との付き合い方

始めはひと月、
長くても半年ほど休めば元に戻ると思っていました。

しかし、夏休みが明けても、
起床時に、体全体が布団に張り付いたような体の重さ、
数分と立っていられない足のだるさ、
そういった症状は一向に改善に向かいませんでした。

症状が長引き、
それを自覚している時間が長くなると、
しだいに、この疲労感はどこからくるのか、
当時はまだ、今ほどネット検索が進んでいなかったため、
様々な本をあさったり、自分の体の感覚から推し量ったりして、
カニズムを探求するようになりました。


大学の講義レベルの浅い知識では、
疲労」と「疲労感」は違う、ということは、
自分の感覚からも理解できました。
(最近になって、実はここに大きな落とし穴がありました)

数分歩いたり、数十分立っていたりすると、
(そもそも、そういった行為をする意欲がないほど、
常に倦怠感に襲われているのですが、)
足のだるさが急速に増していきます。
この状態では、別に筋が損傷したり、
グリコーゲンが枯渇したりしているわけではないので、
「筋疲労」ではないことは明らかでした。

意識を数秒間だけ集中させ、一時的に筋力を発揮しようと思えば、
なんとかそうすることはでき、少しの時間は走ることはできました。
しかし、すぐに体に力が入らなくなるのです。

だから、これは疲労感、
つまり脳が疲労を感じている状態に過ぎないのだ、
という結論に至り、
学生時代は、その仮説を支持していました。

確かに、常にしんどいのは、
目がはっきりと開けられないような、
何時間寝ても改善しない眠気。
何かをしたいと思えない倦怠感。
それが主訴であったため、
脳の中の何かが壊れたのだろうと考えるのは、
自然なことでした。


そして、
肉体的な疲労ではないと結論づけると、
そうした倦怠感に打ち勝てば、
筋肉や走力、持久力だけを高めることは可能なのではないか、
と考え、残されたわずかな学生競技生活を、
少しでも走ることで終えたいと思うようになりました。

日常的に、激しい睡魔と倦怠感に襲われながらも、
それを心理的に押さえ込み、
最初は100mから、
そして、毎日少しずつ距離を伸ばし、どうにか6kmまで、
ジョグを継続することができるようになりました。

つまり、仮説通り、
疲労感は改善しないものの、
筋力や持久力は着実に戻っていくことに気づきました。
しかし、そうした倦怠感を気持ちで抑え込めるのも限度があり、
少し無理をすれば、翌日の倦怠感は増幅し、
また走れなくなる、ということを繰り返していました。


それでも、こうして体力を戻すことで、
疲労感への耐性も徐々に高まり、
「常に眠い自分」「常いだるい体」が当然の状態で、
その中でどう生活するか、どう走ることと折り合いをつけるか、
という状態になりました。


昼間は、講義の間や、上手く時間を見つけて仮眠をとり、
なんとか体力を回復させては、生活の中でできることをする。
そうした生活習慣が身につき、
結局、それが卒業まで続きました。

それでも、4年の時には、
なんとか部活の練習の半分くらいはこなせるようになり、
数年ぶりに、国公立系の大会(5000mで16分半くらい)や、
箱根駅伝予選会(1時間14分近くかかった)にも出場でき、
大学の競技生活を終えました。


はじめ、こうした現実を受け入れるのはなかなか厳しいものがありましたが、
自分の人生の中で、何らかの意義があるのではないかと、自分を納得させ、
相変わらずいうことを聞かない体との付き合い方を模索しながら、
新しい、社会人としての生活が始まりました。